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泣くか笑うか考えるかするブログ

祈って、食べて、踊って、書いて。愛しあえたらそれでいい。

悲しみ

悲しい経験を「悲しい」と受け容れるのに何十年とかかること、ありますね。

どなたか私のために祈ってくださったらいいな、なんて思いながら書いています。

先日、母の叔母が亡くなりました。

私は五歳のころ、母の叔母とその夫から、見た目は傷を残さずに確実に心を壊す暴力を受けていました。
一年ほど続きました。同じ家に住んでいたので毎日、生きた心地がしませんでした。

私は記憶と感情と感覚を失くして、それ以上心が壊れないようにがんばりました。

そのことを母に打ち明けられるようになったのが今年の春です。
六十七歳の母はショックを受けていましたが、私を信じてくれました。

いま、私は毎週病院に通い、精神分析を受けています。

四十年ほど凍らせていた心の何処かが再び動き始めました。戸惑っています。怖いです。けれども感謝です。

自分は悲しい経験をしたのだと、受け容れる練習をしています。

【悲しい・哀しい・愛しい】
心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。(大辞林

自分に対して証拠になる、性暴力そのものの記憶がハッキリと残っていないことが口惜しいです。
ぼんやりしたイメージと皮膚感覚と息苦しさと前後の記憶は断片的に残っています。

いま取り戻しつつある自由と輝きをとても恐れています。

そんな回復のプロセスにある中で受けた訃報でした。

高価な着物やお華の道具とゴミを溜め込んだ大きな家にたったひとり、お風呂に入ったまま亡くなっていたそうです。

ゆるして、祈るしかないです。というのは優等生の模範解答です。

本音は
死んでくれて、ありがとう。

もっと本音は
永遠に生きて、私が舐めたのと同じ恥と罪悪をいついつまでも思い知れ。

もっともっと本音は
神さま、助けて。

こんなことに時間と心を何十年と奪われなければならなかったことが、まず悲しいです。

書くことの秘儀 --若松英輔さん

若松英輔さん講演会 丸善京都本店にて9月14日。

「書くことの秘儀」

最高学府の街だけあり、レジュメつきでややアカデミック、しかし日常にある地に足ついた言葉。

「読む」と「書く」について熱く静かに火を噴いておられました。

人に見せるためではない「書く」。
(ビオダンサみたいだなぁ)

より良い読み手になるための「書く」。

ノートを取る手は止まりません。

わたしにとって京都はどこか「打ちのめされる街」なのですが、今宵、最後の最後に、しばらく呼吸が止まるボディブローが入りました。

「心に悲しみの花を咲かせよ」

本にサインなさるときに、よく添える言葉だそうです。

でも、私の本には書いて欲しくなかった。
その本『生きていくうえで、かけがえのないこと』で私がいちばん読みたくなかったのが悲しみについて触れられていた言葉。

めいっぱい取り繕った笑顔でお礼を言いました。
無理から明るくした自分の声がとても虚しくて、あとで河原町通を心の中で泣きながら駅に向かいました。

筆ペンを握った若松さんは、遠い目で私の周辺を包むように見、穏やかな笑みを浮かべていました。

言葉について、読むと書くについて、毎日のように考え抜いている人の凄みに瞬間ふれました。
しばらく打ちのめされました。

私自身に悲しみを覆い隠す嘘や取り繕いがある間は、どんなにかんばっても人と分かち合える詩も散文も書けないのでしょう。

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岸見アドラー

読了『幸せになる勇気』
再読『嫌われる勇気』

ユングフロイトとならんで心理学の三大巨頭と呼ばれるアドラーの思想を、生きづらさを抱える青年と哲人との対話を通して味わいつつ、「自分はどうよ?」と自問自答できる本です。

アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言い切ります。

そして、どうすれば人は幸せに生きることができるのか、という問いに対してシンプルで具体的な答えを提示します。

『嫌われる勇気』とは夫婦関係が破綻していた頃に出会って読みました。

過去に支配され、人から嫌われることを恐れ、幸せにならないことを選んでいた自分に気づきました。

いろんな要素も手伝って、読んだ数ヶ月後にはダンナを追いかけて赴任先のメキシコに飛びました。

嫌われる勇気をふりしぼって「ごめんなさい」と謝る逆説的な行動は人生にやさしかったです。

今年、対話の続編『幸せになる勇気』を、関西空港の本屋で見つけました。

ちょうどトラウマや性格に問題を抱えている自分に飽きてしまい、もっと変わりたいなぁ、と思っていた矢先のことです。

アドラーの思想はトラウマを否定します。

これは、作品中で哲人に相当する岸見一郎さん自身の言葉だと思いますが、

「あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる【いま】のつらさを忘れようとしているのです」(p.69)

というくだりに大笑いしました。ホントに飽きていましたので、「トラウマ」という考え方に。

過去にあった出来事は変えられませんが、その出来事にどのような意味を与えるかは、いまの自分が決めることです。

子供のころに受けた暴力などはその後の人格形成に厳しい影響を残しますが、魂はそんなにやわじゃないです。カタツムリの歩みでもしあわせに向かって変わることはできます。その歩み自体が、いま、ここ、確実にしあわせです。そして、わたしはひとりじゃない。

わたしは過去にあった出来事に「たくさんの人と分かち合える人生経験」という意味を与えました。

また思い出しては読み返そうと思います。
そのときの心持ちで響くポイントが変わりますから。
哲学者岸見一郎さんが翻訳したアドラー本人の著作にも挑戦したいです。

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教会と選挙

まえに通っていた教会で、あったこと。

信者の中に、親御さんの地盤を受け継いで統一地方選挙市議会の補欠選挙だったかな?記憶が怪しくてすみません)に立候補する人がいた。

教会と立候補する場所はべつの市なので、教会の大方のメンバーはこの人には投票できない。

礼拝のあと、「教会のみんなで○○さんの当選を祈りましょう!」という空気になったけれど、私はそれは祈らなかった。理由はシンプル。政党の公約が気に入らなかったから。好い人だったけれども、分けて考えるべきだと思った。

そのとき考えた。今回は祈りだけだったが、投票となるとどうだったろう。

公約やこれから目指す社会のビジョンに賛同してそれぞれが投票した結果、教会の票が同じところに集まるならなんの問題もない。

けれども、「同じ教会の仲間で、教会のために尽くしてくれているから」という理由で、教会の評議会なりリーダーからのトップダウンで票を集めてしまうのは、民主主義をあきらめてしまうことにならないか。

平和をつくるはずの者が、ファシズムへといたる全体主義になじむ心を育ててしまわないか。

人は感情で動く生き物だけれども、集団の空気に流されちゃいけない。

どんなに嵐が吹いても、神との関係の中で、私にとっての正解を、静かに見極めるために祈る人でありたい。

11月に大統領選挙を控えるアメリカ合衆国では、キリスト教会が組織票をまとめている事を知り、口惜しいついでに思い出したこと。

 

回復する勇気

今年の春、精神科のドアを再び叩いた。じつに15年ぶりのこと。どうしても専門家の助けが必要だった。

二度と精神科などにかかるものか、向精神薬など飲むものか。そう誓ってはいたものの、自分だけの取り組みでは、祈りだけではどうにもならない問題を抱えていることに気づいた。いや、祈りによって隠れていた問題が浮き彫りにされたと表現するほうが正確だ。

繰り返されるイメージと体感覚の再生。ガラスケースの中から世界を眺めている感じ。どんなに仲良くなりたくても、薄皮一枚、人と隔たった感じ。つながれない。操縦される感じ。わからなくなる感情、時間。別人のように変わってしまう価値観。わたしはわたしで独立した一人なのか、わたしは何人いるのか。虫食い状態の記憶。理由なく痛む身体。つねに頭の中で鳴る声。 

解離性障害」という症例をネットで知った。もしかして、という思いが走った。すがる気持ちで検索ワードに住む町の名前を加えた。歩いて10分のところに精神分析医のクリニックが見つかった。わたしは精神分析の対象になるだろうか。

今日で診断のための面談が終わった。生育歴について、5回に分けて丁寧にヒアリングされた。これでなにがわかるのだろうか。不思議だ。ともあれ、次回からは、黄色いふかふかのタオルケットの診察ベッドに横たわり、自由連想法に入る。投薬は一切なし。

わたしは薬では治らない。それは20年前も同じだったと思う。当時は「うつ病」と診断され、7年間まじめに抗鬱剤眠剤を飲み続けた。一向に回復しないわたしに、当時の医師は投薬しかカードを持たなかった。薬で症状をごまかすために、記憶障害、妄想、幻覚、幻聴とそれなりの代償を払った。もういい、ゆるそう。

ふと、知らない男の人と密室で二人きりなること、その人の前で無防備に横たわる自分が見えてて怖くなる。無表情で硬直しているわたし。怖ければ、その気持ちに蓋をせずに、神に預けるがいい。

ほら、別のスクリーンには、わたしが微かな笑みを口元に浮かべてクリニックのドアから出て来くるシーンが映っている。

 

 

 

観念連合

きょう7月14日は、フランス革命の日だったらしい。

牢獄ですっかり痩せてしまった想像の翼。

市民のみなさん、
イヤな記憶が首のうしろから目玉の裏側へとしつこくのぼってくるのは、ゆるされたいからです。

言葉にしたい物狂おしさ。萎えた翼。
喉元で手も足も出せず途方にくれている。

どのみち困るように生まれついているのなら、前を向いて困るわ。

救いの御手は期待するほど天からは降りてこない。

そこの角を曲がったところに、神が佇んでいる。

 

平和の英才教育

わたしが生まれ育った伊丹市って平和教育が盛んだったのよね。修学旅行は伊勢じゃなくてトラウマになるほどヒロシマだったし。南京虐殺も習った。でも、君が代斉唱はあったから、それなりにバランスは取れていたんだと思う。

 

ダンナと通っていたカトリック教会には戦争経験者がまだ多かった。空襲経験者、子どもを背負って闇市に立っていた人。ヒロシマで被ばくした人もいた。80歳くらいのお婆さんに、「憲法9条を守るのよ!」って、なんだかんだとしょっちゅう署名させられた。

 

ついでながら、私は明治、大正生まれのお年寄りにたくさん抱っこされた赤ちゃんだった。母曰く、みな競うように私を抱っこしたがった、と。見た目は少年のようにキリッとしていたけれども、抱っこしたらかなり癒し系の赤ちゃんだったらしい。

 

きっと、赤ちゃんの私は聴いていたんだと思う。墓場に持っていきたい記憶の数々を。戦争やファシズムの話になると、背中にたくさんのじいちゃんばあちゃんを感じるもの。

 

新聞によると、早けりゃ来年の春にも「お試し改憲」なんて国民投票があるそうな。本丸の9条にはすぐに行かずに、外堀を埋めるような箇所を巧妙な変え方で有効投票数の過半数を取りに来るそうな。

 

わたしの背中のじいちゃんばあちゃんたちが、泣き顔で千切れそうなほど首を横に振っている。