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泣くか笑うか考えるかするブログ

祈って、食べて、踊って、書いて。愛しあえたらそれでいい。

記憶の核廃棄物

4歳の甥っ子が転んだり、ぶつけたり、思うようにならなかったり、ありとあらゆる理由でギャン泣きしたり、怒ったりする様子を見て、わたし自身はものすごく怖くなったり、イライラしたり、自分を責めたり。

怖かったのは、「あんた、そんなに泣いたり怒ったりしたら殺されるよ」というシュールな思い込みから。

イライラしたのは、それだけ自分自身が泣くことや怒ることを我慢していたから。「あんた、その程度のことを泣くの?」

「私は痛い、怒っている、悲しい、気持ち悪い」。

ネガティヴな感情を表現する生まれながらの権利が、そうか、自分にもあったけれども、私は知らなかったんだ。

泣かない赤ちゃん、泣かない子ども、手がかからないと褒められる束の間の喜びが去ると、心の中は子どもらしからぬ人間不信と怒りでいっぱいだった。それを表現すると大人は全力で反撃に出る。勝てるわけない。で、結局、自分の中に溜める、溜める、溜める。捨て所がない、自然に分解されない。原発みたいだな。

原発廃炉には、造るのにかかった数倍も数十倍もの年月と労力がかかるという。私の感情の作られ方とその表現が健全なものに変わるまでも同じだろう。

ここで見ないふり感じないふりをして、やり過ごすことができる人もいようが、内向的な私には無理だ。今日一日、1ミリでも気づきを深めるために、記憶を今ここに照らし合わせて検証し続ける、何年でも。いつか、この一つ一つの気づきをなにか素敵な形で表現できる日が来るかも知れない。そんな淡い希望を胸に抱きながら。