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泣くか笑うか考えるかするブログ

祈って、食べて、踊って、書いて。愛しあえたらそれでいい。

回復する勇気

今年の春、精神科のドアを再び叩いた。じつに15年ぶりのこと。どうしても専門家の助けが必要だった。

二度と精神科などにかかるものか、向精神薬など飲むものか。そう誓ってはいたものの、自分だけの取り組みでは、祈りだけではどうにもならない問題を抱えていることに気づいた。いや、祈りによって隠れていた問題が浮き彫りにされたと表現するほうが正確だ。

繰り返されるイメージと体感覚の再生。ガラスケースの中から世界を眺めている感じ。どんなに仲良くなりたくても、薄皮一枚、人と隔たった感じ。つながれない。操縦される感じ。わからなくなる感情、時間。別人のように変わってしまう価値観。わたしはわたしで独立した一人なのか、わたしは何人いるのか。虫食い状態の記憶。理由なく痛む身体。つねに頭の中で鳴る声。 

解離性障害」という症例をネットで知った。もしかして、という思いが走った。すがる気持ちで検索ワードに住む町の名前を加えた。歩いて10分のところに精神分析医のクリニックが見つかった。わたしは精神分析の対象になるだろうか。

今日で診断のための面談が終わった。生育歴について、5回に分けて丁寧にヒアリングされた。これでなにがわかるのだろうか。不思議だ。ともあれ、次回からは、黄色いふかふかのタオルケットの診察ベッドに横たわり、自由連想法に入る。投薬は一切なし。

わたしは薬では治らない。それは20年前も同じだったと思う。当時は「うつ病」と診断され、7年間まじめに抗鬱剤眠剤を飲み続けた。一向に回復しないわたしに、当時の医師は投薬しかカードを持たなかった。薬で症状をごまかすために、記憶障害、妄想、幻覚、幻聴とそれなりの代償を払った。もういい、ゆるそう。

ふと、知らない男の人と密室で二人きりなること、その人の前で無防備に横たわる自分が見えてて怖くなる。無表情で硬直しているわたし。怖ければ、その気持ちに蓋をせずに、神に預けるがいい。

ほら、別のスクリーンには、わたしが微かな笑みを口元に浮かべてクリニックのドアから出て来くるシーンが映っている。